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[欄外コラム(9)] 「廃虚の鳩」のジャケット・デザイン [欄外コラム] のINDEXへ
シングル「廃虚の鳩」/下記のバッファローのアルバムのニール・ヤングの位置に加橋かつみ、スティーヴン・スティルスの位置には沢田研二がいる
バッファロー・スプリングフィールドのラスト・アルバム『ラスト・タイム・アラウンド』
このシングル「廃虚の鳩」のジャケット・デザインは、明らかにバッファロー・スプリングフィールドのアルバム『ラスト・タイム・アラウンド』(左下の写真参照)を真似たものだが、むしろ特筆すべきは、その反応の早さだろう。 このレコードが本国アメリカで発売されたのは1968年8月。 そして「廃虚の鳩」は10月 5日発売!
これが、例えばリリースが世界的に宣伝されるビートルズやローリング・ストーンズのレコードだったとしても早過ぎるが、以前のアルバム『世界はボクらを待っている』に付けられた3Dフォトも、ストーンズの『ゼア・サタニック・マジェスティーズ・リクエスト』を参考にしたものならば、随分早い対応だったことが思い出される。(この件に関しては [欄外コラム(7)] 参照/今のページにはブラウザー自体の「戻る」ボタンで

もっとも、レコード自体の発売以前に広告等でジャケットのデザインは出回っていたのかもしれない。 とはいえ今回の相手のバッファロー・スプリングフィールドは(もちろん後年の評価ではロック史上の重要バンドとされることになるとはいえ)、1968年の時点では本国アメリカにおいてすら、カリフォルニア辺りの、いわばローカル・バンドの1つと認識される程度の存在だったはず。
バッファローは、すでに1968年5月には解散していたのだが、広く注目されるようになったのは元メンバーのスティーヴン・スティルスが元バーズのデヴィッド・クロスビー、元ホリーズのグラハム・ナッシュと結成し、翌1969年6月にレコード・デビューしたグループ「クロスビー、スティルス&ナッシュ」が成功した後と言っていい(また同時に、元バッファローの他メンバーが結成した「ポコ」も注目を浴びていたという相乗効果もあった)。

バッファローは、我が国の「はっぴいえんど」結成(1969年秋)に音楽的キッカケを与えたとも言われるが、しかしそのレコードの日本(盤)でのリリースに関しては、シングル2枚はほぼリアルタイムで1967年に発売されていたとはいえ、最初にアルバムが(それもベスト盤の形で)発売されたのは1969年夏頃のようだし、オリジナルのままのフォーマットで発売されたのは、何と1971年6月。 とにかく、バーズやホリーズならまだしも、1968年夏にバッファローに着目していた人は日本では皆無、と言っても過言ではないと思われる。
だからこそ、そのジャケットを真似してもそれほど問題にはならないと判断されたのだろうが、では、このレコードはどんなルートでタイガースのレコード製作サイドに届いたのだろうか。

アメリカ盤が日本に輸入されたにしても、今とは違ってレコード店頭に並ぶには時間が掛かったはずだ。 となれば、やはり、これは同年7月に単身アメリカに渡った(当時はメンバーの付き人的存在だった)岸部シローからの情報によるものに違いない。 シローはもともと洋楽ロック好きで知識も豊富だったというし、シローが滞在したアメリカの西海岸地域は当時のロック・ムーヴメントの最中心地だったが、その地元出身のバッファローのリリースされたばかりのラスト・アルバムは、現地のロック・ファンの間では話題を呼び、レコード店頭等でもプッシュされていただろう。
が、それにしても、これに注目したのは実に先見の明があったと言わざるを得ない(もっとも、バッファローの音楽がタイガースに与えたものとなると、いささか不明だが)。
さらには、このジャケット・デザインをタイガースのレコードに流用しようとした誰かのアイデアこそ見事なひらめきだったと言える。 特にタイガースのデザインではジャケットの表と裏で沢田研二と加橋かつみの位置が入れ替わっており、これは単にA面とB面でリード・ヴォーカリストが異なることを反映したものだったのかもしれないが、興味深いのはバッファローでその位置にいるのが、スティーヴン・スティルスとニール・ヤングってこと。
スティルスとヤングの出会いがバッファロー結成の原点だが、またこの2人の強烈な反目がバンド解散に至る大きな要因ともなったようだ。 ところが、ヤングは後に「クロスビー、スティルス&ナッシュ」に加わることになる。 1969年夏の歴史的イベント、ウッドストック・フェスティバルのテーマとも言うべき名曲「ウッドストック」も収録された次作 『デジャ・ヴ』(1970年発売)は、「クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング」によるアルバムとしてリリースされた。 しかし、ここでも当然のように仲違いが表面化して、このグループも直ぐに解散することになる。 しかし不思議なことに、その後もこの2人は(いつも長続きはしないのに)何度か組んで活動するのですよ。

ともあれ、この2人が原因で解散した後にリリースされたこともあってか、この『ラスト・タイム・アラウンド』のジャケットではニール・ヤングだけが別方向を向いている写真(わざわざ合成したもの?)を使っているだけでなく、ご丁寧にもヤングと他メンバーの間には目に見える亀裂までが入っているデザインなのだが、はたしてタイガース用にこれを流用した人はそこまで考えたのだろうか。
当時あまり知られていなかった外国のバッファロー・スプリングフィールドというバンド内部でのスティルスとヤングの対立関係を理解して、それを(この約半年後にタイガースを脱退することになる)加橋かつみの存在とダブらせたのだとしたら、あまりにも出来過ぎだ…。
もっとも、ごくシンプルに考えると、バッファロー・スプリングフィールドの当時の日本発売の権利はタイガースと同じレコード会社の日本グラモフォンが持っていたので、当然ながら何処よりも早くジャケット・デザインを入手しており、さらに、その日本発売の予定が無いこともハッキリ分かっていたので、堂々とデザインを流用したということなのかも。
一方、バッファローのメンバー間の情報は岸部シロー経由で聞いていたりして、こっそりとタイガースでの状況にアダプトしてみた、のかもしれませんが…。
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