このページは新しいウィンドウで開いているはずですので、他のページに移る時には(基本的に)このウィンドウを閉じてください

曲の「ヴァージョン違い」等について(スタジオ録音分)
ガロのスタジオ録音の曲で、テイク違いやミックス違い等が存在するものについて記載
このページ内のINDEX
たんぽぽ/一人で行くさ/地球はメリー・ゴーランド/水色の世界/
美しすぎて/四葉のクローバー/明日になれば/僕のすべて/
一枚の楽譜/憶えているかい/ピクニック/西行き列車/公園通り/
一本の煙草/吟遊詩人
*記載した以外にも、こうしたヴァージョン違いは何処かに潜んでいるかもしれませんので、気付かれた方は ぜひ情報をお寄せください
たんぽぽ
シングル版とアルバム『GARO』収録版では、テイク自体は同じはずだが、ミックスが異なる。

シングル版では、堀内護のリード・ヴォーカルがダブル・トラック。 また、イントロのギター部分で、何かノイズのようなものが聴こえる。

編集盤のLP/CDでは、通常、このシングル・ミックスの方が使われる(例外もあり)。
一人で行くさ
シングル版(上記曲のB面に収録)とアルバム『GARO』収録版では、テイク自体は同じはずだが、ミックスが異なる。

アルバム版ではイントロのギター2本が右チャンネルにミックス、続いてもう1本のギターが左チャンネルに加わるが、シングル版では最初のギター2本が左右チャンネルに振り分けられ、後から加わるギターは中央にミックス。 また、シングル版のエンディングでは、右チャンネルのギター・リフが大きくハッキリ聴こえる。

編集盤のLP/CDでは、通常、このシングル・ミックス(3分03秒)の方が使われる(例外もあり)。

また、編集盤CD 『シングル・ファイル』にはシングル・ミックスで収録されているが、2分52秒ほどでフェイド・アウトする。 このCD用のリマスタリングの際に、アルバム・ミックスの長さ(2分54秒)と混同したものか? いずれにしても、そのショート・ヴァージョンは、このCDにだけ収録。
ただし、シングル・ミックスが収録された他のCDでも、ごくわずかだがフェイド・アウトはアナログ版より早い(特に東芝版CD 『シングルズ』)。
地球はメリー・ゴーランド
シングル版もアルバム『GARO』収録版も同じテイクだが、オリジナル・シングル盤(CD-146-Z)に収録されたもののみ、フェイド・アウトが30秒も早く、3分10秒となっている。 ただし、盤レーベルでのタイム表記は、アルバムと同じ3分39秒とミス・プリント。

このページの最初に戻るこのオリジナル・シングル盤以外では全部 3分39秒ヴァージョンで、シングル・テイクを集めたとされている編集盤CDの『シングル・ファイル』や『シングルズ』、『GARO アンソロジー 1971〜1977』でも、同様の長さで収録。
水色の世界
シングル版(上記曲のB面に収録)もアルバム『GARO』収録版も同テイク。
ただし、アルバム『GARO』の復刻CDと編集盤CD 『ガロ・アンソロジー』では、フェイド・アウトするエンディングの最後のベースの三連符の音が小さめ。 東芝盤CD 『シングルズ』では大きめで、その後のソニー盤CD 『GARO アンソロジー 1971〜1977』は、両者の中間の感じ。
しかし、これはミックス違いというよりは、ちょっとしたマスタリングの差異と言うべきでしょう。
美しすぎて
シングル版とアルバム『GARO 2』収録版とは別テイク。
(ガロのスタジオ録音で完全な別テイクはこの曲のみ、他は別ミックス等と言うべき)

アルバムの大野克夫アレンジ版はシングルとしては地味とのことで、後で録音し直されたという。 編曲者は飯吉馨で、第1回東京音楽祭に出演して歌った時のアレンジとのこと。 アルバム版とは楽器編成も一部異なるが、堀内護のリード・ヴォーカルもダブル・トラック。

なお、アルバム『GARO 2』でのタイム表記3分50秒は、おそらくシングル版と間違えたもので、アルバム版は実際には4分33秒。 エンディングがヴォーカルと共に終わるシングル版に較べて、アルバム版は後奏部分があるため、かなり長い。

編集盤のLP/CDでは、通常、シングル・ヴァージョンの方が使われるが、例外もある。
四葉のクローバー
この曲が収録されたアルバム『GARO 2』では、かまやつひろしのオリジナル・ヴァージョンには無かったイントロダクション部分が冒頭に37秒ほど付いているが、後の編集盤LP『ガロのすべて』では、それが欠落し、かまやつ版のようにギターのアルペジオ部分から始まっている。
明日になれば
シングル版(「涙はいらない」のB面に収録)もアルバム『GARO 3』収録版も同テイクのはずだが、シングル版は短縮編集ヴァージョン。

まずイントロは、アルバム版では4小節あるが、シングル版は1小節。 シングル版では冒頭からパーカッションが大きく、アコースティック・ギターが(ほとんど聴こえないほど)小さくミックスされている。 歌の1番と2番の間の演奏はアルバム版が1小節多い。 さらにシングル版ではエンディングがフェイド・アウトするので、アルバム版の3分25秒に対して、3分02秒。

シングル・ヴァージョンは編集盤CDにも収録されたことがあるが、アルバム・ヴァージョンの方はアルバム『GARO 3』でしか聴けない。
このページの最初に戻る僕のすべて
アルバム『GARO 3』収録曲だが、アポロン系の編集CD 『ガロ ベスト・アルバム』での同曲は、フェイド・アウトが数秒早い。
一枚の楽譜
2003年4月に平間克生さんから詳細な分析情報が寄せられましたので、以下に転記させていただきました。
ヴァージョン違いとは断言できないのですが、私の耳には『GARO 4』とシングルで違って聴こえます(『GARO 4』は1998年復刻CD、シングルはCD『シングルズ』で聴き取りをしています、オリジナルのアナログ・シングル盤ではまだ未確認です)。
リマスタリング上発生した差異か、ひょっとして単に私の空耳ではという恐れもあるので書くかどうか迷ったのですが、参考までにご紹介します。 具体的には次のように違って聴こえます。

・ドラムス、特にシンバルについて両版で違うイコライジング処理がされているように聴こえます。
『GARO 4』の「一枚の楽譜」シンバルに較べ、『シングルズ』でのシンバルは高音成分がカットされており、またスティックで打った後の残存音が目立たないように聴こえます。 擬音的に言うと、『GARO 4』では「シャンシャン」という感じで鳴っているように感じられるところが『シングルズ』版では「チチチチ」というような乾いた音に聴こえます。 特に、イントロの5小節目以降で違うように思いますし、1コーラスに入って日高富明のリード・ヴォーカルの後ろで8ビートを刻むところも音色が違って聴こえます。 また、1コーラス終りの「生きたよ〜」の「よ〜」の後ろで4分音符4つ打ちの部分の音色も『GARO 4』ではシャンシャンと派手に鳴っているのに対して、『シングルズ』ではおとなしく聴こえます。
当方の推測では、シンバルに日高のヴォーカルがマスクされないように(特にAMラジオ等での放送時を考慮して)、シングル・カットする際にシンバルを目立たなくするイコライジング処理をしたのではないかという気がするのですが。

・また、バック・コーラスのエコー成分が『シングルズ』版の方が多いように聴こえます。 特に2コーラス目に入って、大野真澄がファルセットのA音で「ア〜、ア〜」と入ってくる所が『シングルズ』版の方が妙に生々しく聴こえるように感じられます。

・あと、ヴァージョン違いではないのですが、「一枚の楽譜」については聴いていていつも妙に思う点があります。
1コーラス目での大野のバック・コーラスの出だしのA音の最初の部分(1.5拍分ぐらい)が明らかに欠落し、途中から音が出ている点です。
これはもちろん大野が出だしをとちったのではなく(それなら録り直すはず)、ミックスダウン時のフェーダーの上げ遅れのような感じに聴こえるのです。 これは当然「一枚の楽譜」が入っている手元のどのCDを聴いても共通しています(アナログ盤は未確認です)。
どうしてそういうミス(?)を残したままリリースしたのか素朴に疑問です。 作業が突貫工事で、つい直すのを忘れたままリリースしちゃった、とか。 聴くたびに妙な感じがするのであります。
憶えているかい
2001年9月、インターネット上のガロ・ファン・サイト GARO FAN page の1コーナーで、柴山信彦さんによる「復刻版のベストCDを聴いたらパーカッションの音が入ってなくてびっくり」 とのご指摘に気付きましたので、チェックしてみました。

当時のアナログ・シングル(「一枚の楽譜」のB面に収録)、同曲が収録された『GARO 4』の当時のLPと復刻CD、および編集盤CD 『エッセンス・オブ・ガロ』では、リズムを取る ボンゴのようなパーカッションの音が(右チャンネルに)入っています。 大きく目立つミックスではないとはいえ、隠し味のように この曲の雰囲気を決定するような気さえする重要な音だと思いますが、編集盤CD 『シングルズ』の同曲では、確かに この音が欠落。

代わりに左チャンネルでリズムを刻むギターがハッキリ聴こえると共に、左チャンネルに入っているグロッケンのような金属質の音も、それまでのミックスより かなりハッキリ・クッキリ目立ちます。

これは新発見だ! このCD復刻時のリミックスなのでしょうが、そうした理由は不明。 が、ひょっとしたら、当時『GARO 4』からシングル・カットする際に シングル用にリミックスしておいた音源を(間違って)使用したというようなことも考えられるのではないでしょうか。

なお、その後にリリースされたソニーでの編集盤CD 『GARO アンソロジー 1971〜1977』では、オリジナル・ヴァージョンに戻された。

2003年4月に平間克生さんから詳細な分析情報が寄せられましたので、上記記述の一部を訂正すると共に、それ以外の項目を以下に転記させていただきました。
・ヴァージョン間のギター、ピアノの定位関係の違い等
曲全体を通して、従来版(『GARO 4』の1998年復刻CDで聴き取りをしています)ではピアノが左チャンネルに、アコースティック・ギターが右チャンネルに定位されています。 これに対して、CD『シングルズ』版では、逆にピアノが右チャンネル、アコースティック・ギターが左チャンネルに定位されています。
また、イントロで聴こえるアコースティック・ギターは両ヴァージョンとも同じ演奏ですが、歌に入ってからのアコースティック・ギターは違う演奏が収められています。
すなわち、『シングルズ』版左チャンネルのアコースティック・ギターはいわゆるフォーク・ギターでコード・カッティングをしているのに対して、従来版右チャンネルのアコースティック・ギターはアルペジオ的にコード構成音を弾いており、ギターもガット・ギターが使われています。

・その他
1コーラス目の途中(「君とあの頃見た映画」のところ)から堀内護の声で「ア〜、ア〜、ア〜、ア〜」とコーラスが入りますが、従来版ではこれをはっきり聴き取れるのに対して、『シングルズ』版では音量がずっと小さく、奥に引っ込んだ感じにミックスされています。
また、全体に従来版の方がベースのヴォリュームが『シングルズ』版よりも大きくなっています(特にイントロでの音圧感が目立つ)。
このページの最初に戻るピクニック
どうやらマスター・テープの再生速度が、収録された各レコード・CD間で多少なりとも異なるというケースがあるようだが、それが特に、この曲では(わずかな違いとはいえ)目立つ場合がある。 例えば、オリジナル・シングルと編集盤CD収録版を較べると、CDの方が明らかに速め。
またCD化で気付いたことだが、曲の終了後に「ジジジ」というノイズが聴こえる。 ただし、わずかなマスタリングの差異だろうが、東芝盤CD 『シングルズ』ではノイズ以前に音が絞られている。
西行き列車
上記シングルB面収録曲で、これもマスタリングの差異だろうが、フェイド・アウトするエンディングの最後のギター・フレーズが、東芝版CD 『シングルズ』では小さめ。
公園通り
当初はプロモ・シングルでしか聴けなかった曲だが、1990年以降、編集盤CDの『シングル・ファイル』、『エッセンス・オブ・ガロ』、『シングルズ』、『GARO アンソロジー 1971〜1977』に収録された。
これまたマスタリングの差異だろうが、『シングル・ファイル』、『エッセンス・オブ・ガロ』、『GARO アンソロジー 1971〜1977』では、エンディングのフェイド・アウトがカット・アウト気味(途切れる感じ)に聴こえる(特に『GARO アンソロジー 1971〜1977』で気になる)。 しかし唯一、『シングルズ』では滑らかなフェイド・アウトに聴こえる。

また、プロモ・シングルのB面に収録されていた同曲の演奏版はレコーディングに使用されたオリジナル・カラオケのはずだが(ちなみに、ガイド・メロディー等もミックスされていない)、A面のヴォーカル入りのヴァージョンより6秒ほどもフェイド・アウトが長い。 こちらのテイクは今のところ、このシングル以外には収録されていない。
一本の煙草
シングル版とアルバム『吟遊詩人』収録版はテイク自体は同じはずだが、ミックスが異なる。

まず、冒頭のハーモニクスの音がアルバム版ではかなり大きい。 シングル版ではAメロの2回目から左チャンネルにギロが、Bメロに入るとトライアングルらしき音がハッキリと聴こえるが、アルバム版では音量が小さい。 間奏の生ギター・ソロの最終部分で、シングル版は最後の1音がカットされている。 エンディング近くのオフレコ的な語り部分はシングル版の方が声が大きいが、特に右チャンネルで「OK」と言っているのがハッキリ聴こえる。 また、エンディングではアルバム版のみボンゴ? を連打する音が小さく左チャンネルに入っている。

LPの編集盤にはシングル・ミックスが収録されていたが、編集盤CD 『シングル・ファイル』では、間違えて? アルバム・ミックスを収録。 そのため、このシングル・ヴァージョンは永らく未CD化のままだったが、やっと1999年10月リリースの編集盤CD 『シングルズ』に収録された。 また、その後の編集盤CD 『GARO アンソロジー 1971〜1977』にも収録。

2003年4月に平間克生さんから詳細な分析情報が寄せられましたので、上記記述の一部を訂正すると共に、それ以外の項目を以下に転記させていただきました。
全体的にシングル版の方の大野真澄のリード・ヴォーカルの音量がアルバム版よりも大きいことと、シングル版の方がイントロのエレキ・ピアノの音量が大きいことが両ヴァージョン間での違いとして挙げられます(アルバム版は『吟遊詩人』の1990年復刻CD、シングル版はCD『シングルズ』で聴き取りをしています)。
このページの最初に戻る吟遊詩人
シングル版(上記曲のB面に収録)もアルバム『吟遊詩人』収録版も、テイク自体は同じはずだが、シングル版は前半部分のみの短縮ヴァージョン。

なお、この曲の作曲者は日高富明・堀内護とクレジットされているが、いわゆる共作ではない。 それぞれが別々に書いた数曲を、プロデューサーのミッキー・カーチスのアイデアで組曲風に合体したものだという。

『ベン・ハー』(ミクロス・ローザ作曲)のような史劇映画の壮大なオープニングらしいイントロダクションは、日高が作って自らギターも演奏した力作部分。
(ちなみに、これ以前のインタビュー等で、日高は大切にしているレコードとして、ミクロス・ローザ作曲の一連のサントラ盤 『ベン・ハー』、『エル・シド』、『キング・オブ・キングス』等を上げているが、堀内もミクロス・ローザのファンだったという)

そして日高作曲の印象的なAメロが始まるが、ここのハーモニー・バランスはシングル版とアルバム版では、かなり違って聴こえる。
続けて、堀内がクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングの「デジャ・ヴ」を意識して書いたという、変拍子風パート。
次は日高がソロを取る自身作曲のへヴィー・ロック部分にチェンジするが、そのつなぎ目でフェイド・アウトしていく前パートの音が、シングル版ではカット・アウト気味(途切れる感じ)のミックスになっている。

シングル版は、この日高の曲でフェイド・アウトして終了するが、そのフェイド・アウト部分はアルバム版より長く、タイムは4分01秒。
このヴァージョンはLPも含めて他に収録されることが一切無かったが、1999年10月リリースの編集盤CD 『シングルズ』に収録された。 また、その後の編集盤CD 『GARO アンソロジー 1971〜1977』にも収録。

アルバム版では、この後、前曲とクロス・フェイドして始まる堀内作曲の生ギター弾き語りに導かれ、後半部分が展開。
アルバム『GARO』収録曲の「暗い部屋」でも引用されたクロスビー、スティルス&ナッシュの「青い眼のジュディ」風のコーラス・ワークが続き、そして最後にはイントロのフレーズが繰り返され、いかにも大団円といった雰囲気のエンディングを迎えるという、7分02秒のロング・ヴァージョンになっている。

2003年4月に平間克生さんから詳細な分析情報が寄せられましたので、以下に転記させていただきました。
・イントロ
楽器の音量バランスが両ヴァージョンでかなり違います。
具体的には、シングル版の方がイントロの日高富明演奏のエレキ・ギターおよびバックで和声感を支えるシンセ(当時よく使われたソリーナか?)の音量が大きくミックスされています。 そのため、左チャンネル寄りで鳴っているピアノが聴き取りにくくなっています。 これに対してアルバム版ではエレキ・ギターおよびシンセの音量は押さえ目になっており、ドラムスが目立つ。 またピアノの音がはっきり聴き取れます。

・日高富明作曲のAメロ部分
「ここのハーモニー・バランスはシングル版とアルバム版では、かなり違って聴こえる」とありますが、両ヴァージョンで3人のヴォーカルの定位が違っていることがその要因として大きいのではないかと思われます(3人の声の音量バランスも違っているのかもしれませんがよくわかりません)。
すなわち、アルバム版では大野真澄=左寄り、堀内護=中央、日高富明=右寄りと、3人の声が比較的分離して定位されているのに対して、シングル版では、3人の声が中央に寄せて定位されているように思われます(ヘッドホンで聴くと、中央に寄せられても、大野=左、堀内=中央、日高=右という位置関係自体は維持されているようにも聴こえますが)。 また、3人のコーラス全体の音量がシングル版で大きく、アルバム版ではオフ気味になっています。 これらの差異が、このAメロ部分での楽器を含めた全体の響きがシングル版とアルバム版で相当違う原因になっていると思われます。

・堀内護作曲の「デジャブ」的部分
ここでもAメロ部分と同じく、シングル版は3人の声が中央寄りに定位されており、それに対してアルバム版では分離気味にして定位されています。

・日高富明作曲のヘヴィ・ロック部分の前半
エレキ・ギターがシングル版では左チャンネル側に定位されているのに対して、アルバム版では中央に定位されてます。 日高のヴォーカルはシングル版、アルバム版ともに中央に定位されています。

・日高富明作曲のヘヴィ・ロック部分の後半(「ア〜、ア〜、ア〜、ア〜」のコーラスがリピートされるところ)
シングル版のエレキ・ギターがセンターに移動します(アルバム版は引き続きセンターのまま)。
また、シングル版ではシンセが高いBの音でペダル的に切れ目なく奏されていますが、アルバム版にはこの音は入っていません。

(以上、アルバム版は『吟遊詩人』の1990年復刻CD、シングル版はCD『シングルズ』で聴き取りをしています)

ところで、この曲のアルバム・ヴァージョンは他の編集盤でも聴けるが、オリジナル収録アルバム『吟遊詩人』はトータル構成になっているので、やはりアルバムのクライマックスとして聴くのが本来の形だと思われる。 特に、最終部分である「ツイン・ベッド」〜「大都会の羊飼い」〜「吟遊詩人」の流れは完成していて、どれも外せないのではないでしょうか。
このページの最初に戻る
このページは新しいウィンドウで開いているはずですので、他のページに移る時には(基本的に)このウィンドウを閉じてください
ガロのINDEXへ ディスコグラフィー入口へ えとせとらレコードのホームページ